会員寄稿

今、想うこと

納谷健太郎

1905年、シカゴにおいてポールハリスが友人3人と語らってロータリークラブが誕生してから今年で98年になりました。その間いろいろなことがありますが成長を続けて今では世界中に120万人のロータリアンが活動するまでなりました。1905年の日本はというと日露戦争が始まった時ですから、いかに永い時代をロータリーが存在し成長し続けたか、そのすごさを感じずにはいられません。その歴史の中で我クラブも諸先輩のご努力のお陰で今年創立30周年を迎えることができました。誠におめでたいことであります。

 さて、時間の経過とともにあらゆる事柄が変化するのは当然であり、ロータリーも変化しつづけ、流れに対応してきました。しかし私は最近ロータリーが、時代の経過に対応し変化しているというより変質しているのではないかと危惧しています。もちろん、まず自分自身に問いかけるべきことですが、残念なことにロータリーの基礎理念である「超我の奉仕」と「職業倫理」があまりにも疎かに扱われだしているように思われてなりません。

 私のロータリー暦は17年になりますが、入会させてもらったときは若さいっぱいの42歳で37歳の井関会員に次いで二番目に若い会員でした。入会当時の会員数は40名ぐらいだったと思いますが現在、正会員としては私以外に10名しか残っておられません。この間のロータリー活動の中でわたしが一番気に入っているものといえば、やはり青少年交換プログラムです。羽曳野ロータリークラブでの青少年交換プログラムは1991年の滝野会長年度にオーストラリアからの受入学生ミリンダ・カーター(ミン)が始まりで、その後1996年のアメリカからのカリン・マッカチェン、1999年メキシコからのトーレス・レオナルド、2000年ドイツからのミヒャイエル・シュタムミッツ(ミッヒ)それに今年度のパトリック・ウィンターホフと5人の海外からの長期受入学生をホストクラブとしてお世話し、また1998年にはインドからの短期交換学生を2週間程度受け入れもしました。それぞれ個性的な学生でしたので色々と思いださせてくれるのですが、そのなかでも私にとってミンちゃんとミッヒはとくに印象的です。ミンちゃんは、一昨年11月に結婚し今ではミリンダ・ラム夫人になっているのですが、グレートバリアリーフのヘイマン島でこじんまりした家族だけの結婚式でしたが家内と娘の3人で出席して、ものすごい大きな感激をもらいました。またミッヒは、日本が大好きになり去年は夏休みを利用して1ヶ月、大阪に遊びにきました。そして彼はドイツでの兵役義務を免除してもらうため今年夏から1年間、日本に来て芦屋でボランティアをする予定を立てています。

 私は、これからも羽曳野ロータリークラブを通じて日本人、外国人の若者が他国の文化を理解しそして他国の友達をたくさんつくることで戦争のない平和な世界ができることを夢見て、1人でも多くの若者とかかわっていきたいと思っています。