会員寄稿

記念行事の記録化の方法

井関和雄

1.周年の記念行事は10年に1回とか、5年に1回しかやって来ない。
そこで、平成13年3月、今回の30周年記念行事の準備委員会を私が会長エレクトとして発足させたとき、何よりも「20周年のときは、どのようにしたのか?」についても記憶がまったく残っていなかった。10年も昔のことである。忘れていて当然である。

2.周年の記念行事であるから、まったく新規に何の見本もなく、白紙でやれば良いという訳にはいかない。20周年のときは、こうしたとか、他のクラブの30周年のときは、こうだったとかを参考にしなければならない。 確かに、私たちの手元にも、きれいに冊子になった「20周年記念誌」があり、そこには式典の式次第、来賓の名前、記念品の決算、ホテルの決算などが書いてある。

3.これらは大いに参考になった。しかし、いくら読んでも、平板なインプレッションしか与えてくれない。なぜだろう? 例えば、記念式典の日をカレンダーのなかから、いつの日を選択したか。 何も、2月の寒い日を決めることはなかろうと思うが、実は、3月、4月、5月は、会員の各種行事があって忙しかったり、ロータリー地区の行事があって忙しかったり、来賓の出席をいただくにも、3月、4月、5月は避けようという議論をしたのである。

4.例えば、記念品を選ぶのに、今回は、置時計・絵皿・コーヒーカップ・靴ベラといずれも現品を実行委員会の眼の前に並べて選んだのである。 そして、木製の靴ベラを選んだ。当日、お持ち帰りいただくのに(実際は、当日は持ち帰らなかった)、なぜ、かさの大きい靴ベラにしたのか。 それは、眼の前の時計や絵皿が、ありふれていたので、かさが大きくて大変だが、靴ベラにしたのである。

5.今回の30周年記念行事も終わり、式次第や来賓名簿もきれいな形で保存されていき、きっと40周年行事の準備のときは、それが参考になるだろう。 しかし、なぜ、そう決まったのかは、捨てられた対案とも言うべきものが、まったく記録に残されていかないので、あとから考えると、なぜそう決まったのかについて立体的なイメージが伝わって来ない。
廃案になった案も同時に、誰かのメモ書きか、記憶の中に残っていないと、やはり「次のときに使う記録」という点で不十分である。