「ロータリー財団月間」によせて

パストガバナー 瀬戸 新一

ロータリー財団の生い立ち

 いまごろ「論語」を持ち出すのも気恥ずかしいのですが、中学校の漢文にこんな一節がありました。「覇は力を以て制す。王は仁を以て治む。覇は必ず大なり。王は常に小なり」しかし、王道は永遠なりという反語である。

 20世紀は産業革命の展開をうけて、無産階級の出現、社会主義の台頭、景気変動から暴動、革命、戦争で始まった。そして、第一次世界大戦が終息する頃わが国際ロータリーは、奉仕団体として体制を整え戦後の復興に乗り出そうとする、1917年。

 ご存じRI第6代会長のアーチ・クランフが、アトランタ国際大会において「ロータリー基金」の設立を提案致しました。全世界的な規模で慈善、教育、その他社会奉仕の分野でなにかをしようではないかとの主張でありました。

 その年、東の帝政ロシアでは二月革命十月革命が勃発、ボルシェビキの台頭があって、理想主義革命家レーニンではなく、スターリンによってソビエト社会主義共和国連邦が打ち建てられました。

 飽くなき領土膨張と全世界赤色革命を標榜して、権力主義暴政の猛威を揮い、第二次世界大戦後は東西冷戦構造による軍事的緊張を高めました。

 忘れもしない1991年8月19日、午前2時に静岡放送局から自主番組「米山梅吉翁の生涯」が放映されるというので、ガバナー事務所から全クラブに通知を出していました。すると午後7時のニュースで突如「ベルリンの壁」崩壊が報ぜられた。

 つづいてモスコウの赤色広場に佇立するレーニン像が倒され、共産党本部ビルが群衆に占拠された。75年世界的に猛威を揮ったソビエト共産党政府の瓦解である。一時代の終末でもあった。

 一方、1918年26ドル50セントの寄金で始められた、ロータリーは今や全世界に29,626のクラブで1,180,550人の会員が、この地球上からポリオを撲滅しようという人類福祉に壮大な目標を達成しようとしています。

 21世紀には10億人の低識字率と10億人の無識字層を解消して、貧困、疫病、戦争を無くそうとする遠大な構想を練っています。

 あの時アーチ・クランフは言った。

「ロータリー財団は、煉瓦や石の記念碑を建てるためのものではない。例え、大理石に碑銘を刻んだとしても、やがては崩れてしまうだろう。真鍮を使ったとしても、いつかは汚れてしまうだろう。だが心の中に碑銘を刻むなら、そして、ロータリーの網領に込められているロータリー精神と、神をおそれ同胞を愛する気持ちを吹き込むならば、われわれが刻んだものは、永遠に輝き続け、文明の続くかぎりロータリーを不滅のものとするだろう」と。

 

2002-03年度国際ロータリー会長ノミニー

タイ、バンコク、ドンブリ・ロータリー・クラブ

ビチャイ・ラタクル氏

1990-92年度国際ロータリー理事

1985-86年度ロータリー財団管理委員会委員

 ビチャイ・ラタクル氏は、タイ議会の議員として9回の任期を務めました。政治家としての長い経歴の中で、民主党の指導者、1975〜76年度の外務大臣、副首相を10年間、下院外交委員会委員長を歴任しています。タイ王立政府の内閣閣僚として、ラタクル氏は国家安全保障理事会の副委員長、ならびに対汚職委員会および麻薬取締委員会の委員長を務めました。政府に入閣する前は、タイ製薬協会の会長であり、タイ商工会議所およびタイ工業連盟の理事でもありました。

 ラクタル氏は、これまでにタイ王室、タイの国王、日本の天皇、フィリピン、韓国、オーストリア、およびニカラグアの大統領から数々の賞ならびに勲章を受賞しています。また、国連総会に多数のタイ代表団を送り込んでいます。
1958年にドンブリ・ロータリー・クラブの創立会員になって以来、地区ガバナー、国際協議会討論リーダー、委員会委員ならびに委員長、財団管理委員、理事会の執行委員会委員長を務めてきました。現在は、2000〜01年度外交関係グループのメンバーです。

 ラクタル氏は、国際的な人道的および教育的プログラムの支援を称えられ、ロータリー財団の功労表彰状と特別功労賞を受賞しています。

2000年9月

 

財団奨学生帰国報告会

河内長野ロータリークラブ推薦

RC財団奨学生学友 金野 祐子

今、その瞬間を大事に生きる!

 私は河内長野ロータリークラブに推薦して頂き1999年度9月から2000年3月まで、6カ月間文化研修生(英語習得)としてオーストラリアのELS語学学校へ派遣されました。

1.留学動機

 私は日本プロテニス協会のテニスインストラクターとして、スポーツを教える立場から、技術はもちろん人間としての魅力等、多様な能力が要求されるスポーツビジネスの世界で7年間勤務しました。様々な世代、職業の方々と接する中で人が人を教えるという大変さや面白さを学ぶ中自信と誇りをもって毎日のレッスンに励んでいました。そしてよりグローバルな視点から語学をしっかり身に付け、更には海外のスポーツ事情についても学びたいという思いを胸に1998年5月にロータリー奨学生試験にチャレンジしました。

2.オーストラリアでのロータリー活動

 当地では6カ月という短い期間です。“じっとしていてはチャンスはやってこない”という気持ちを常に忘れず、自ら積極的にロータリー関係者の方にお願いしてクラブの訪問を頼んだり、大勢の人と会えるパーティやチャンスには出来るだけ参加するよう努力しました。その結果7つのクラブを訪問し合計、27回例会に出席しました。その中で8回のスピーチをした経験はとても私にとって有意義なものでした。スピーチ後の様々な質問や又あるクラブでは地元の新聞社で大きく報道して下さったりと感激することばかりで常に新鮮な感動に包まれました。

3.留学成果

 この6カ月間に私の中で3つの内面の成長が感じられました。1つ目は国際感覚を磨くことが出来たと思えること。2つ目は母国日本を客観的に見つめることが出来たこと。3つ目は素晴らしい多くの友人達との交流が出来たことです。どれも私の視野を大きく広げ、楽しいことも辛いことも全てあるがままに受けとめて“今その瞬間を大事に生きる”そんなポジティブな思考が身に付きました。

4.最後に

 私の人生に大きな影響を与えたこの素晴らしい経験は永遠に忘れることはありません。この様な機会を与えて下さった多くの日・豪のロータリー関係者の方々、愛情あふれるホストファミリー、ELSの温かい先生方、個性豊かな各国の学友達。そしてかつて私にこのロータリー活動の存在を教えてくれたアメリカの学友Dawnさん(NYで国際弁護士として活躍中)。オーストラリアは私の心の故郷になりました。

 Thank you very much!

 

財団奨学生活動報告 No.1

スポンサークラブ/地区:串本RC/2640

ホスト地区:6800

山本 恵子

メンフィスでの留学生活第一歩

 私がアメリカに来たのは昨年の夏で、今University of Tennessee, Memphisでのロータリー奨学生としての最初の学期が終了しました。

 大学院1年生の間は、ほとんどの時間を授業に費やしました。他の学生に比べて語学力不足であった上に、専門が学部時代とは異なっていたため、最初のうちは、授業についていくのに大変苦労しました。毎回の講義をテープに録音し、繰り返し聞かなければならず、2時間の講義テープを復習するのに、5〜6時間かかったものです。私の学部は神経生物学であるので、授業内容は、組織学・細胞神経科学・神経解剖学・細胞生物学など、主に生命科学の基礎知識となるものでした。研究室では、指導教授のプロジェクトに参加しました。プロジェクトは、大脳基底核という部位の研究であり、これらの仕事を通して、脳の解剖学的手法を学んでいます。

 私の大学は、Health Science Centerであり、医・歯・薬学等の学校と大学院のみで、学部がありません。大学院も、人文・社会科学はなく、生命科学関連の分野のみです。大学はいくつかの病院に囲まれていて、いわゆる「キャンパス」という雰囲気ではなく、周りを歩く人々も、学生よりは、医師やレジデンス、研究者がほとんです。こういう環境のため、私の学生生活も、他の大学に通う場合とはかなり違っているかもしれません。文学や語学の学部がないためか、留学生の数も比較的少なく、出身国もそれほどバラエティーに富んでいるというわけではありません。日本人も、研究者としては数人いるのですが、学生では私一人のようです。しかし私にとっては、この状況はかえってよかったと思っています。もし他に日本人学生がいれば、どうしても日本語を話してしまいますし、頼ることも多くなり、英語の上達も今よりずっと遅かったと思います。実際、今の生活では、日本語を話すことはほとんどありません。

 このメンフィスでは、ロータリー奨学生だけでなく、多くの留学生がロータリーと関わりをもつ機会があります。それは、メンフィスRCが、しばしばメンフィス内の全ての留学生を対象に、イベントを企画してくれるからです。おかげで、大学内のみならず、他校の留学生と知り合いになる機会があるのです。また、メンフィスの観光地を訪れることもありました。これまでに、博物館や公園、エルビス・プレスリーの家(メンフィスはプレスリーの故郷として知られています)など、日本のガイドブックなどで紹介されていた場所にも行くことができました。

 アメリカの多くの都市がそうであると思うのですが、メンフィスも公共の交通機関は非常に不便です。ほとんどの人が車を持っていますが、車を持たない私には、スーパーでの買い物も思うようにはできません。生活もほとんど、学校とアパートの往復だけの毎日です。メンフィスについては、日本でガイドブックを読んだ程度の知識だったのですが、そこで紹介されていたメンフィスの顔と、私の目にする光景とは、全く異なるものでした。もし私が観光客としてメンフィスを訪れていたら、きっと全く違った印象を持ったに違いないと思い、その違いの大きさを考えると、興味深い気がします。

 4月29日には、ミシシッピー州のCambridgeで行われた地区集会に参加しました。そこで、日本からの他の奨学生や、この夏ホスト国へ出発するアメリカ人奨学生と会うことができました。私達は各5分程度のスピーチをし、短くはありましたが、他の奨学生の経験や感想を聞くこともでき、非常に良い機会だったと思います。

 メンフィスのクラブミーティングには、学校でのセミナーの時間と重なっていたため、まだ参加する機会が得られていませんが、近いうちに参加できればと考えています。

 

奉仕の理想に思いを馳せて

地区職業奉仕委員長 村田 昌之

 IT革命と題した上田紀行先生(東工大教授・文化人類学)の記事(毎日新聞9月27日夕刊)で、先生はIT革命は「投機」がブームの本質として喝破し、「世界」10月号グローバリゼーション新たな排除の世界システム化(伊豫谷登士翁氏)の論説と「諸君」10月号日本の座礁(佐伯啓思氏)の論説を紹介しておられます。要約すれば伊豫谷登士翁氏(一橋大学教授)は“メールにアクセス出来るようなグローバル化された人々とそうでないものとの経済的格差は飛躍的に増大し、グローバルな相互の結びつきは強まるが家族や地域社会共同体といったローカルな空間は崩壊し、人々はアイデンティティ喪失の不安にさらされることになる。

 産業は「モノ」から「記号」の生産に構造を変え、そこではアメリカを中心とした「グローバルドリーム」と呼ばれる文化的商品が消費される。商品自体ではなく、ブランドが重要になる。ディズニーやコカコーラはグローバル化された記号として消費されるが、それは実体に基づかない金融商品の記号性とも通底している”としています。

 又佐伯啓思氏(京都大学教授)は「グローバリゼーションはアメリカ主導のものであり、リアルエコノミー(製造業)の衰退をシンボルエコノミー(金融情報・サービス)へシフトすることによって回避する試みだ、すなわちモノから記号への転換なのである。」とし、そして日本の中間組織(官僚・企業・サービス)が解体され裸になったときに起こる大崩壊を危惧し、「IT革命やグローバルな金融よりも地域のモノ形り、データ的情報管理よりも職人的技術といったローカルな共生を重んじたヒューマンエコノミー、社会関係資本を志向する国家像を確立すること」の重要性を説いています。

 「IT革命」この耳ざわりのいい言語は、今日本をおおいつくそうとしています。

 しかし、はたしてどれだけの人がこのことを真に理解しているのでしょうか。

 とにかくこのことを語ることがかっこいい、又すぐにでもお金儲けにつながる。理想や内容などはどうでもよい。とにかく乗り遅れないという人間心理や企業心理が先行しているように思えてなりません。

 今日、私たちロータリーの職業奉仕に於ける最重要課題は「職業倫理」です。

 企業が国民と社会に対して負っている責務は、従業員や株主に対して負っている責務に劣るものではありません。永久ともいえる企業経営者のジレンマは社会的責任を果たしつつ、いかに企業を存続しつづけるだけの適切な利益を常に確保していくかということです。全てのロータリアンに共通していえることだと思います。

 このバランスを崩さない努力こそ職業奉仕の理想であると考えます。奉仕の理想を生かしつつ、理念と現実との相互の通行をしなければなりません。ロータリーの先見の眼は貴重なものです。私はIT革命なる言語を根底から否定するものでは決してありません。それよりむしろこの怪物と対峙しなければ日本国も、そして私達も生きのこれないということは朧げではありますがわかってきています。

 私がいいたいのは、IT革命が「投機」の、そして「強者が弱者を限りなく搾取する」又「私達最後の乗り物である地球号とそこに生きる全てのものの心を破壊する」道具であってはならないと思うだけです。

 私達の先人が営々として築き上げてきた知恵、すなわち「奉仕の理想(この困難な時代を救う鍵)」を今日どのようにして実践し、それによって新しい時代に生まれてくる新しい価値をどのようにして創造していくかということが、大変重要になってくると思うのです。

 IT革命も私達ロータリーが掲げる世界理解と究極の平和をめざす一つの道具でなければなりません。「理解・実現・共生」の世紀が近づいています。

今新しい時代に種をまき、先人達が残してくれた財産の上に

私達の財産を積み上げロータリーの旗を高く掲げ続けましょう。

 

第2640地区 米山記念奨学生一泊研修旅行報告

地区米山記念奨学会委員長 松下 光春

 10月8日、9日連休の2日間、地区役員、カウンセラー、米山奨学生、総勢37名の一行は広島、宮島方面へ研修旅行に行って参りました。

 車中では、「米山梅吉翁の生涯」のビデオを放映して研修しました。車は平和公園に着く頃から小雨が降りはじめ、あいにくの天気となりました。

 平和記念資料館、原爆ドームを見学、参加者全員、平和の尊さを身にしみて感じました。その後、瀬戸内海に浮かぶ歴史とロマンの島、日本三景の一つ安芸の宮島、宮島グランドホテル有本に到着、小雨にけむる巌島神社参拝、記念写真をとりました。

 奨学生には楽しい旅館での宿泊であり、日本の文化、情緒を満喫して頂きました。

 懇親会では私達ロータリアンと奨学生の語り合い、カラオケ大会等、和やかな大変楽しい宴会でした。

 翌朝は、大雨警報の中の車中となり、安全のため、コースを一部変更して(千光寺参拝を取りやめ)しまなみ街道より耕三寺に参拝しました。

 帰路は、大雨と渋滞にたたられましたが、車中カラオケで時間の経つのも忘れ、日本の文化や歴史にふれる楽しい旅行を、全員無事に終わることができました。

 

米山記念奨学生一泊研修旅行感想文@

葉 岳憲

 国際ロータリー第2640地区の米山記念奨学生研修旅行が、10月8、9日に行われました。私が米山の奨学生として、研修旅行に参加するのは今回が2回目です。今回の研修旅行の行き先は、原爆ドームと平和公園、そして宮島です。集合場所のホテルに到着して、ロータリーの先生方と挨拶を交わした後、観光バスに乗り込んだ時、私は少し興奮していました。

 なぜなら、学校の歴史の授業で広島の原爆の話を聞いて、強烈な印象が心の中に焼きついていたからです。そして、多くの話を聞くよりも、現地に行って実際に被爆した原爆ドームや展示されている原爆の記録写真を見てどうして何の罪もない多くの人々の命が一瞬のうちに奪われなければいけなかったのかと、とても悲しい気持ちになり、すごく残酷だと思いました。そして、見学を終えて、バスに乗り込んだ後も、その悲惨な光景はずっと頭から離れませんでした。

 原爆ドームと平和公園を見学した後、日本三景のひとつである宮島を見学しました。宮島の風景は非常に美しく、まるで自分自身が絵画の中にいるようでした。そして、その風景は原爆ドームや資料館を見学して暗くなった私の気分を移転させてくれました。また、ガイドさんの詳しい説明を聞いて、巌島神社など、日本の古い建築物について、一層理解を深めることができました。

 ホテルでは、風呂に入り、浴衣を着て、ロータリーの先生方や他の留学生と一緒にお酒を飲んだり、おいしい日本料理を味わいました。とても楽しかったです。

 この2日間、ロータリーの先生や他の留学生と話をして、いろいろな事を勉強しました。たくさんの友達もできました。今回の研修旅行、久しぶりに快適な時間を過ごせ、大変感謝しております。

 

クラブだより

堺東ロータリー

I.A.C.リーダーシップフォーラム

堺女子高校インターアクトクラブ顧問 越智 順子

 お彼岸の最中、9月24日(日)に堺女子高校、堺東ロータリークラブのホストにより、インターアクトクラブのリーダーシップフォーラムが実施されました。各学校の会長、副会長、幹事を中心としたリーダーが参加し、午前中は京都外国語大学助教授の彭飛(ポンフェイ)先生による「外国から見た日本−日本青少年への期待」と題し、日本語の「ちょっと」について、私たちではわからない使い方のおもしろさなど、一時間四十分の講演を聞きました。午後からは各班に分かれ交流を目的としたハンドベルの体験をしました。一時間の練習で一曲完成させ発表したときは、それぞれの班が気持ちをひとつにできたことで、ちょっとした感動もありました。今回の行事で参加者はこれから、リーダーとしてどうすべきか、どうしていきたいかなど考えさせられましたが、自信を持つことができたと思います。それぞれの学校でのリーダーシップに期待したいと思います。

 参加者は、ロータリアン19名、生徒50名、顧問13名の総勢82名で有意義な一日を送る事ができました。

堺北西ロータリー

21コンサート

 2000年9月29日(金)から2001年6月29日(金)(12月を除き)毎月最終金曜日の夕方に堺市役所高層館21階ホールにおいて、堺市民の皆様と共に、私達の住む堺の音楽文化を育てる事を目的に、それにより青少年の音楽情操教育に少しでもお役に立ち、堺市民の皆様方、ひとり一人がより良い人間関係をはぐくまれればと願うものです。

 『地域社会の人々と共に』をキーワードに堺市民のための堺市民による手作りの「21コンサート」を開催します。

 9月29日(金)第1回目の「21コンサート」を開催し、北村奈美さん他3名によるバイオリン演奏に、約180名の市民が参加され、楽しんで戴きました。

高石ロータリー

友好クラブ黒四発電所の見学

 友好クラブ高石RCと富士吉田西RCが立山登山、黒四発電所の合同見学会が8月1日実施され、ファミリーも含め多数の参加で交流し、友好クラブの絆を深めた。

和歌山城南ロータリー

街をきれいに

 10月1日(日)午前9時より、地域の発展と子供達の健全な成長と、地域環境を良くしようとの願いをこめて、スプレー等による壁などの落書きが目立つ本町公園、本町2丁目、京橋周辺(8ヶ所)をペンキを使って落書き消しを行いました。

 田中会長は「私達の活動をきっかけに、地域の人達が自分の街を美しくしようと意識を持ってくれれば…」と挨拶をしました。

 地元の「ぶらくり丁クリーン連絡会」の人達と当クラブ会員32名が汗を流す奉仕活動の日曜日でした。

岸和田東ロータリー

マーチングバンド壮行会

 10月1日午後3時より岸和田ベイサイドモールに於いて、岸和田5中学のマーチングバンドのチームが御堂筋パレードに参加する為、岸和田市長はじめ多くの来賓、一般の参加のもと、壮行会を行いました。当日の演奏披露の生徒達に、岸和田東ロータリークラブ、青少年奉仕活動委員会より激励の花束を贈呈しました。

 

公式訪問よもやま話

 今日は和歌山方面、明日は堺方面、次は泉南方面、河内方面、という様に公式訪問の回数を重ね、この月信が発行される頃は約8割のクラブの訪問が終了し、いよいよラストスパートの時期に入っているところです。暑い暑い7月半ばの真夏から始まり、今は大変爽やかな良い季節となりましたが、初冬の12月15日の最終訪問日を目指して頑張っているところです。訪問するとどのクラブの人達も暖かく歓迎をしてくれ感謝申しあげています。各クラブの活動状況を聞かせて頂く中で特に地域の独自性をもつ社会奉仕活動に興味を引かれると共に感銘を受けています。地域の人々と共に奉仕活動を続けられているクラブがこんなに多くあることを再認識いたしました。私は今以上に地域の人々、特に青少年や行政に携わる人達にも語りかけロータリーを正しく理解して頂き、一緒に奉仕活動ができる様になることを訴えています。ロータリーの限りなき発展のために…。