「新世代のための月間」によせて

新世代部門アドバイザー

大澤 徳平

 過日関西ロータリー研究会で「お父さんサボるな」と題しての講演を聴いた。講師は元豊中ロータリークラブの村田善明氏である。先生は弁護士から和歌山の家庭裁判所の裁判官になられ青少年犯罪に直接タッチなされた後、再び弁護士になっておられる方である。

 若者特に17歳に注目の昨今であるが「子供は親の後姿を見て育つ」と言われるように大人の言動が目茶目茶であれば、その子供たちが目茶目茶になるのは当たり前である。躾の問題が話題になると家庭だ、学校だ、社会だと互いに責任逃れの発言になる。

 本来子育ては乳児期・最低生後1年から2年まではお母さんがしっかりと抱きしめて、徹底的に赤ちゃんの要求を受け入れてあげる。幼児期・3歳から4歳ごろからダメなものはダメときっちりと厳しく躾けなくてはなりません。それをするのが父親の役目です。昨日までの優しい母親がいきなり厳しくなると子供はびっくりします。いっぺんに変わるわけには行きません。そこで父親の出番なのです。そして児童期は夫婦が役割分担しての教える事にあります。特に父親はこの頃から社会の掟をきちんと教えなければなりません。思春期になりますと自分で考えさせるというような子育てをして頂かないと子供はまともに育たないと先生は話された。

 ロータリアンの皆様 お父さん 今一度ご自分の姿勢を正すという意識を喚起し進んで行動を取っていただく月間であります。とにかく大人自身の生き方というものが青少年の手本になっていること、良い手本にもなっているし、悪い手本にもなっている。子供のやっている事は大人の真似をしているだけなのです。自分の子供を見れば判ります。自分の良いところは全然見ていない、けれども悪い事はきっちり見ているでしょう。だから大人の生き方を正さないと少年非行がどうこう言っても云うことは聞きません。

 だから先ずロータリアンは職場において職業倫理・企業道徳の確立が必要です。また企業人であると同時に家庭人でありますから、学校がやらねばならない事、家庭がやらねばならない事、社会がやらねばならない事をもう一度一から考えて見て下さい。

 家庭裁判所のベテラン裁判官は村田先生に「少年というのは変るでしょう、だから面白い。そうでなければやってられないですよ」と発言されています。少年に対する信頼を持ち、希望と愛情で見つめる事です。人間同士の信頼がなければ社会は成り立ちません。新世代にバトンを渡す我々の世代はもう先が見えております。新世代のためになることならば今意識を喚起し進んで行動を起こしましょう。

 

国際化教育

松原高校での取り組み

山田正人

留学受け入れの意義

 大阪府立松原高校では、毎年、3人(あるいはそれ以上)の留学生がやってきます。ロータリークラブ、AFS、YFUの生徒達です。ほとんどの生徒が日本は初めてです。また、日本語も初めて勉強します。最初のうちは、図書館で教師との1対1の日本語授業が中心となります。また、英会話の授業では英語でスピーチをしてもらったり、生徒との対話の相手になってもらったりしています。時には教科書の英文をテープに吹き込むこともやってもらっています。半年程経つと、ほぼ全部の授業に入って他の生徒と同じように授業を受けます。

 はじめは、どの留学生も真面目で熱意があるのですが、3カ月も経たないうちに日本語がうまくなり、会話のかなりを日本語を交えて意志疎通できるようになります。その頃から、学校生活にも慣れてきて、日本人生徒のいいところも悪いところも含めて色んなところを真似て変化がみられるようになります。半年で自立する生徒もいます。時には日本の教育制度や習慣を批判する時もあります。1年も終わりの頃になると周囲への配慮もできるようになる生徒もいますし、我儘な振る舞いに閉口させられる生徒もいます。担任をしていると多くの楽しい経験をさせてもらうと同時に、時には文化的な差異の説明をしたり、納得できなくとも学校の規則に従わせるように説得しなければなりません。1年の間、なんの波風も立たない留学生はいません。いろいろぶつかり合う中で理解しあえる時に喜びがあるのでないでしょうか。

ハニフの1年

 1999年9月〜2000年6月まで在籍したハニフ・スルキ君について話をさせてもらいながら、留学生とその周りの生徒の関係を中心に話をさせてもらいます。

 ハニフはアフリカ系アメリカ人で、名前が示すとおりイスラム教信者です。1日に数回お祈りをしなければならないということで、昼休みにはLL教室の準備室で欠かさずお祈りをしていました。

 とても人懐っこい性格で、誰にでも親しく声をかけたり、かけられたりで、友達も、彼が入った2年5組だけでなく、学校中にできました。運動能力にも長けていて、陸上部と柔道部に所属して活動しました。

 来日して最初のイベントが文化祭でした。言葉のハンディのあるハニフにも参加してもらえる企画をしようということで、体育館での合唱をすることになり、ハニフのために3曲のうちの1曲は「上を向いて歩こう」を英語で歌うことにしました。なかなかうまく歌えませんでした。さすがに、文化祭が近付くと遅くまで残って練習しました。彼にとって皆と親密になれるチャンスだったと思います。

 松原高校では、2月の第1土曜日に「人権の集い」という催し物をやっています。いろんな立場の人の思いを聞いたり、いろんな角度から『人権』というものの考え方を知るのです。今年は、在日朝鮮人として成長してきた3年生の人の話を聞いて劇にすることにしました。そしてハニフにもアメリカの黒人問題について語ってもらおうと、放課後何度か聞き取りをしました。アメリカの長い公民権運動の歴史の結果、ハニフの世代にはあからさまな差別はなくなったようですが、父母の時代の話からいまだに色濃く差別が残っているのだと言葉少なに語っていました。しかし、「人権の集い」のラストにハニフが『たとえ差別を受けようとも暴力で仕返すのではなく、理性で受け止め、深い教養をもって押し返そう。』と訴えた時には静かな感動が体育館の生徒たちに伝わりました。普段の陽気なハニフがそんなことを考えているのかという思いで、大人のハニフを見た思いでした。

 2月には、留学生のための日本語スピーチコンテストにも参加しました。残念ながら入賞はできませんでしたが、素晴らしいスピーチでした。来て半年あまりの中でよくぞ、ここまで、日本語を勉強できたなという感想を持ちました。それ以上に感銘を受けたのは、一緒に参加した、ニュージーランドのケビンが入賞を果たした時に、自分のことのように喜んでいる姿を見た時でした。

 春休みにはネパールへ行きました。松原高校は春休みにスタディ・ツアーとしてアジアの国に行っているのですが、ハニフはどうしても参加したいといって19名の参加者に入ってしまいました。まるで日本人と同じように、しかられたり、夜遅くまで話したりして、短い期間に深い友情を作りました。学校の交流とボランティアを目的としたツアーでした。ハニフは公立学校でネパールの学生に河内音頭を教えました。とても上手に教える姿にネパールの先生方が「彼は先生か」と質問してきた程です。大木神父さんの障害児のための施設でも自然に誰とでも交流していました。彼が日本人の一部になったのか、日本人の生徒たちが彼の積極性をたくさん受け取ったのか、日本人同志の中にもしっかりとした関係が出来上がり、とてもいい旅になりました。

 ボランティアといえば、彼は松原高校のボランティア・サークルの参加するボランティアにはすべて参加しました。多くは、イベントのお手伝いでした。彼は、ゲーム・コーナーを担当することが多く、すぐに、小さい子からお年寄りまで多くの人と親しくなりました。

 英会話の授業で、アシスタント・ティーチャーのホイール先生は、授業遅刻したハニフを罰としてしばしば立たせました。「ハニフをこのようにしたのは日本人のあなたたちですよ。」とハニフより、遅刻しても罪の意識の薄い日本人学生をたしなめることがありました。

 私も留学生活の後半でときどき彼を叱りました。慣れてきて、取りたくない授業の時に図書館にいたりしたからです。今まで誇りにしていた彼に怒りよりも失望を覚えたことを伝えたこともありました。

学び合い

 留学生は、いろいろな意味で日本人学生に強い影響を与えてくれます。いい意味でも悪い意味でもお互いに刺激を与え合って1年の生活を終えます。なかなか100%満足のいく学校生活を送ってくれる生徒はいませんが、彼ら留学生は、多くのことを学ばせてくれます。タイから来たヤン・ヨン君は、とても礼儀正しい生徒で、遠くからこちらを見ても足を止めて会釈をしてくれました。その姿勢は1年間崩れることはありませんでした。スイスから来たカリンさんは、まじめな律儀な性格で、日本語を学ぶ姿勢をなくすことはありませんでした。カナダから来たニコラ、フォリピンから来たサマンサ等、それぞれに強烈な個性で我々にいろんな事を投げ掛けてくれました。

文化大使たれ

 このように1年間を振り返ってみますと、留学生を受け入れる意義が見えてきます。

 私は、留学生に対しては、「文化大使であれ」といつも強く言います。私達は、ハニフを通してアメリカ人という国民を理解します。また、黒人問題を理解します。彼は好むと好まざるとに関わらず、周囲の人に観察されているのです。アメリカを理解してもらうための草の根の文化大使としての自覚を持って行動して欲しいと常に願っていました。

異質なものへの理解を

 日本人生徒に対しては、ハニフを通して様々なカールチャーショックを受け、自分たちの考え方や行動を見なおすきっかけにして欲しいと願っています。昨今の日本社会に蔓延している「いじめ」やストーカーや突然「きれ」て暴力に及ぶ事件などは、自分とは「違う」人に対する配慮や慮りがありません。小さい時から集団の中で色々な個性の人と多様な関係を持ちながら社会のルールを身につけていく経験が、子供たちを成長させると思うのですが、言葉も膚の色も違う生活習慣や文化がまったく違うハニフが、1年間に日本社会に順応したり反発したりする場面に出くわし、違いを理解しより広い視野で物事を見る人間に成長していく過程を目の前にして我々日本人も多くのことを彼から得ている気がします。

異文化理解へのきっかけ

 留学生と共に生活するということは、今最も必要性が叫ばれている異文化理解教育を身近に経験できる大きなチャンスを得ていることになります。多くの文化的背景を持った人たちとの理解を深めながら共に豊かに暮らしていける社会を創造していくという考えがますます大切になる中、広く留学生を受け入れて友情を育てていくことは、今一番やらなくてはならないことではないでしょうか。

 留学生をホームステイさせることは、学校で彼らを相手にする我々の苦労の比ではない程に大変なことだろうと思います。本当に頭が下がる思いです。しかしながら、多くの留学生は、別れに際して、留学中に得た友情や様々な経験に感謝の気持ちを表して帰国します。多くの日本人生徒も同様に涙を流して別れを惜しみます。

 1年間に育んできた人間関係の数々が、その背後にいる多くの人たちにも及び、異文化理解と平和の連鎖ができることを期待し祈りたいと思います。

 交換留学生制度を長年の間、発展させてきていただいたロータリークラブの国際奉仕活動のますますの発展をお祈りします。

 

公式訪問よもやま話

 さあ、出発です。ガバナーの仕事の中で最大の激務と言われている公式訪問が、7月13日、成川守彦直前ガバナーの所属クラブ有田ロータリークラブから始まりました。公式訪問の順番は、前年度のガバナー所属クラブから始まるのが通例となっているようです。初訪問は緊張するだろうからノミニー時代に教えていただいた人のクラブが一番目という配慮からだと思いますが、これが又一層緊張を引き起こすものでした。卓話のときに、失言しないか? 皆さんに解る様に話せているか? 心配ばかりの30分間でした。協議会のときも又緊張です。質問に充分答えられるだろうか? 戸惑いはしないだろうか?しかし会員の皆様は、さすがロータリアンです。卓話は、静かに聞いて下さるし、協議会でも各委員長さんは、決して難しいご質問はなさいませんでした。終ってからは、実にすがすがしい気分が致しました。只今は8月中旬です。6クラブの訪問が終り少しばかり心に余裕が出てきました。又各クラブの特徴・長所・短所も見えて参りました。私は「クラブの皆様と一緒にロータリーの勉強をしましょう。」という気持で訪問させていただいています。残されたクラブの皆様よろしくおねがいします。