帰国報告 永田涼子 (串本ロータリークラブ)
(2000〜2001年度財団国際親善奨学生)
 
 去年の8月の半ばから今年の6月の終わり頃まで、アメリカ合衆国のオハイオ州立大で文化人類学のアフリカ研究をして参りました。
フランクJ デブリンRI前会長と一緒に…
■アメリカの大学制度
 最初の1ヶ月は、エリ−湖のすぐ下にあるクリーブランドという所の語学学校で、語学研修を受けました。
そこは色々な国から英語を学びに来ている学生、若い人たちが多かったのですが、そこで英語の授業を受けてとても楽しく過ごす事が出来ました。そこに行かせてもらった事によって、大学での勉強の決心、心の準備が出来ました。1ヶ月間勉強して、9月の20日から大学の方に行きました。
 アメリカの大学は日本の大学制度と全く違いまして、私の行っていた大学は1年が四つの学期(春夏秋冬)になっていて、その一つ一つを四分の一のクォーターと言っていました。私は秋冬春を経験しました。(日本だと前後期の2つにわかれています。)
 その特徴は1学期が10週間しかないことです。ただでさえ英語の早い授業についていくのが大変だったんですけれど、その学期が始まると10週間がものすごく目まぐるしく過ぎて行って、最初のころは週末も勉強や本を読んだりするばかりで、なかなか友達と遊びに行く時間とかゆっくりする時間とかもありませんでした。
 テストも中間、期末テストがあって、そこでも成績が出てしまう。1学期の間に3〜5科目位しかとれません。1年でトータルすると15〜20科目とれるので、日本の大学と同じ位になります。
■授業の内容
 私は、文化人類学の基礎のクラスと英語の留学生向けのクラス、そしてスワヒリ語のクラスを取りました。文化人類学のクラスは日本であまり深く勉強した事もなかったので本当に全てが新鮮で面白くて、色々な国の色んな文化を学んだという感じなんですけども、その授業が、もう本当に日本の教授の態度と全く違うなという印象がありました。日本では、大教室で教授が授業するのですけれども、ただノートを読むだけという教授もいたりして、生徒の顔すら全く覚えていないという教授が多いのが現実で、いい先生もいらっしゃるのですけれど、向こうに行ったらどれだけ大きなクラスでも一人一人の名前を覚えようとしてくれて、それにすごく感動しました。
 授業では最初にシラバスというのを貰って、1週目は何をするテストは何週目、最後のテストは何週目と全部書いてあって、カリキュラムがすごくしっかりしていて、日本の高校と大学を入れ替えた様な感じです。どちらの制度が良いということが難しいのですけれど、やっぱり私は大学は勉強をするために行くというふうに思っていて、周りにも遊びに来ているという様な人が多かったのですが、だからアメリカの大学に行きたいと強く思っていました。それを経験出来たのですごく良かったです。
 でも向こうの高校でも学力が低下しているという問題点も色々とあるんですが、大学の制度はすごくいいと思いました。
 もう一ついいと思ったのが、アメリカの大学には様々な生徒がいて、私と同年代の生徒だけでなく、60歳のおじさん、おばさんがいたり、妊娠している主婦の方がいたりしたことです。私が冬学期の文化人類学のクラスを取ったとき、グループディスカッションでおなかの大きい主婦の方が同じグループでした。その時に主婦の立場からチャイルドケアはこうしたらいいんじゃないかとか意見が出て、「ああ…そういう観点から見えるのか」というふうに感じました。やっぱり色々な立場、年齢の人と一緒に勉強出来るというのは素晴らしいなと思いました。
■エスコートサービス
 私の行った大学はアメリカの中で2番目に敷地が広い大学で、本当に巨大で緑のキャンパスがあって、とにかく広くて、敷地内に26個の図書館があり、そのうち一晩中開いている図書館が一つあり、そこで試験勉強をしたりしていました。危険じゃないかと思われる方もいると思いますが、図書館から寮、アパートまで車で送迎してくれる「エスコートサービス」という、学生なら無料で利用出来る制度がありました。アメリカは銃とかも氾濫していて危険ですけれども、そういう制度があるから学生は安心して勉強出来る、そういう環境にもすごく感心しました。特に私の今行っている大阪外国語大学は単科大学で、とても小さい大学なので、その違いには本当に驚きました。でも私はどちらの大学もすごく好きなので、向こうでも楽しめたし、アットホームな日本の大学も好きです。
■例会に参加させて頂いて
 向こうの例会も規模が違っていて、70人から100人程の方がいらっしゃって、これはどうしようと思って、すごく緊張してしまいました。最初は5分位の自己紹介でいいよと言われていたのですが、英語ですし、多人数の人たちの前で私は何を言えるんだろうとすごく緊張したんですけど、皆んなすごく明るく朗らかでユニークで面白い方が多かったです。串本から持っていった那智黒を回してもらったんですけど、それがうけて結構喜んで頂いて、それで串本の写真を見せながら紹介をして、色々な所が違うんだなと、驚きの感想をもって頂いたようです。
 クラブはオハイオ州のコロンバスという一部の地区の3つのクラブに行きました。バナーは2つしか交換出来なかったんですが、クラブそれぞれのカラーが全然違うのも驚きでした。
私のホストクラブであるアッパー・アーリングトンは静かな雰囲気をもったクラブでしたが、ゲストで行ったダブリン・ワシントン・クラブは朗らかな、笑いの絶えないクラブでした。スピーチがすごく面白く、丁度大統領選挙の時でお互いに両陣営のことをジョークで言い合い、笑いにしてしまって、楽しいクラブでした。
■顧問ロータリアンのカーティスさん
 カーティスさんにはよくして頂きました。最初にコロンバスから3時間位離れた所に着いたので会えなくて、しばらくして会いに来てくださいました。大学に移ってからは、本当に色々な所に誘って頂いて、バレーボールを一緒にプレーしたり、それで色んな人の輪が広がって、色々友達も出来、向こうでスポーツをする事自体すごく面白い経験でした。それから、カーティスさんの職業は建築のエンジニアでしたので、色々な建築中の建物を見せて頂いたり、一つは見学だけですけども、ミーティングにも参加させて頂きすごく感謝しています。
■これからの私
 向こうに行って色々と考えて、日本の大学院に進学してアフリカの研究を続けて行こうと直前まで思っていました。でも、アフリカで何かボランティアをしたいとも思っていたので、研究するだけでは貢献することができないと考えました。自分の手に職を付けようという思いから、卒業後はアメリカの大学院の方で、リハビリテーション・カウンセリング(日本にはない)というのを専攻して、勉強したいと思っています。これは障害者の人や、体や心に問題をもっている人たちの為のカウンセリング・プログラムです。もしこの資格が取れたらそれを生かして、アフリカに行ってボランティアをしたり、日本のそういう施設で働けたり出来たらいいなと考えています。
 最後になりましたが、自分の将来の考え方が変わったり、色々な沢山の人に出会い、色々な経験をさせていただいたのは、全てロータリーの皆様のお陰だと思っています。本当に感謝しています。有り難う御座いました。 
 
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