フランクフルト便り 最終号 2003年3月31日
堺西ロータリークラブ

2002〜2003年財団奨学生
林 万里子(スポンサークラブ:堺西RC)

ついにイラク戦争が始まり、不穏な空気が世界中を漂う今日この頃です。帰国して、早や一ヶ月。ようやく日本の生活ペースに慣れてまいりました。遅れましたが、「フランクフルト便り最終号」をお届けします。最後の一ヶ月間を中心に、ドイツでの生活を振り返りたいと思います。

今でも私はフランクフルトといえば、ゲーツ家の顔を思い浮かべます。厳格な顔をしているけれど心優しいアンドレアパパ。私の相談をいつも聞いてくれた私のドイツの良きママ、シピレママ。食事中、私にいつもご飯の名前を教えてくれた長男フィリップ(19歳)。ご機嫌な時はいつもコミカルなリズムでダンスをする次男モリツ(18歳)。気が強いけれど、本当は内気な長女カッティーン(15歳)。私に絶えず発音を一生懸命教えてくれたドイツ語先生、次女アントニア(9歳)。

最後の晩、全員居間に集まり、皆赤ワインで乾杯しました。アンドレアパパが「マリコはいつもシピレと楽しそうにおしゃべりしていた。二人は仲良かった。いつでもこの家に来なさい」と短いスピーチをし、アントニアから手作りクッション、シピレママから指輪とネックレスをプレゼントされ、私は泣いてしまいました。

私からはこれまでのドイツ語日記を、別のノートに書き写し、それをプレゼントしました。「克明に記録された半年間での私の生活を読み返すことによって、どうか私を思い出して欲しい。本当に楽しかった」。そう私は言って、ゲーツ家と一緒に撮った写真をフォトカレンダーに貼ってプレゼントしました。そのフォトカレンダーはすぐにキッチンに飾られました。
「これで飯を食べるたびに、毎日マリコの顔が見れるわ」
ハンマーで壁に釘を打ち込んだシピレママの笑顔が忘れられません。

半年間、実に充実した時間を過ごすことが出来ました。失敗もありました。ドイツ語が理解出来るようになり始めた頃会話が複雑になり、全神経を集中し、必死だった時もありました。

ところで、3月20日、私はフランクフルトロータリークラブでお別れのスピーチをしました。その和訳原稿を以下に載せます。また、3月21日フランクフルト日本人学校にて、小学校6年生の子供達を前に50分スピーチさせて頂きました。
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<フランクフルトロータリークラブ>
林万里子と申します。私は2002年8月30日大阪よりフランクフルトに到着致しました。
最初、私はとても大きな不安を抱いていました。本当にフランクフルトで生活できるのだろうか。なぜならば、私は聾だからです。胎内時に母が風疹を発病した為、難聴児として出生しました。

私は三つの目標がありました。
第一にドイツ語を話し、書き、読むことが出来るようになること。
第二に外国で生活できる適応能力を高めること
第三に外国友人を大勢作ること

第一:最初ドイツ語を聞くことは容易ではありませんでした。しかし、私は耳が聴こえなくとも目が見えます。読み、書きが出来ます。ですから、私はいつも日記を書き、それをホストの父であるアンドレア ゲーツ氏に添削してもらいました。私のホスト兄弟、ホスト姉妹、彼らは私の兄弟だけでなく先生でもあります。彼らは私と話すことが困難であっても、決して私とコミュニケーションを図ることを諦めませんでした。
第二:私は幼少時より夢を抱いていました。それは外国で勉強する事です。日本は島国です。大変狭い世界です。私はたくさんの国々を見て、一人で外国へ行けるようになることを望んでいました。私のホストの母であるシピレ夫人のお陰で実に私はドイツ家庭を多く体験させて頂きました。特にクリスマスが大変印象に残っております。例えば、オーパ・オーマ(祖父母)が住んでいるマリエンホーフでモミの木を切り倒し、自宅へ持ち帰った事。ドイツのサンタクロース、ニコラウス(12月6日)には、お菓子をプレゼントされました。アドベントろうそく、ニュルンベルク市のクリスマスマーケット。それらは私にとって素敵なクリスマスの思い出です。

第三:私はドイツ語語学学校へ通っておりました。ゲーテインスティトゥート学校はとても大変優れた学校です。そこには大勢の外国人が学んでおり、私は多くの文化を学ぶことが出来ました。実に世界中皆同じ人間であると、私は強く思います。

最後に、ロータリークラブに心より感謝を申し上げます。特にフランクフルト1820地区平和友好ロータリークラブ並びに南大阪2640地区ロータリークラブに感謝いたします。
そして、私のファミリー。ゲーツ家に感謝を込めて。

私はドイツが好きです。
本当にありがとうございました。
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このロータリークラブのスピーチを終えると、40人ほどの聴衆が次々と立ち始め、ついに全員総立ちでの拍手となりました。こんなことはフランクフルトロータリークラブで初めての出来事と説明され、私の頬も紅潮。

またドイツ滞在中、ヨーロッパ各地を旅行することが出来ました。友人と、母と、または一人で。高校時代の友人と一緒に大学町ハイデルベルク・かつての西ドイツ首都ボン・ケルン大聖堂を観光し、母とは私の生まれ故郷であるロッテルダムで三泊。美しいキンデルダイクの風車を眺め、ああオランダはのどかだなあと懐かしくなりました。またオーストリアのフェルトキルヒでピアノ留学中である高校時代の友人と旧東ドイツの幻想的でドイツで一番美しい街といわれるドレスデン、陶磁器の町マイセンを訪ね回ったことも楽しい思い出となりました。そして、最後にフランクフルトより夜行列車に乗り、音楽の都ウィーンを旅行することが出来、楽しい思い出を胸に日本へ帰国することが出来ました。

留学は目標達成が全てではなく、来ること自体に大きな意味があると思います。私は4月1日よりシオノギ製薬に入社します。これらの体験を生かし、いつまでも前向きに、語学を勉強し続け、輪を広げたいと思っております。

私の留学体験報告を終えます。
帰国後多くの方々とお会い出来、とても嬉しかったです。これからも社会人としてご指導を宜しくお願い申し上げます。






フランクフルト便り No3 2002年12月19日
堺西ロータリークラブ

2002〜2003年財団奨学生
林 万里子(スポンサークラブ:堺西RC)

メリークリスマス!林万里子です。
皆様、いかがお過ごしでしょうか。
こちらは12月に入って、本格的に冬が到来しました。一時期、マイナス10度以下を記録する日もありました。今回は『学校編』と『続 旅行編』の2つをテーマにしております。ご興味ある方は『続 旅行編』もご覧下さいませ。

さて、フランクフルトでもついにヴァイナハツマルクト(クリスマスマーケット)が始まりました。ログハウス風に木で屋根や壁をしっかり作った屋台がところ狭しと並び、イルミネーションが輝き、それは大変胸踊る光景です。木工人形を売る店・クリスマス商品店・ロウソク屋・お菓子店、そしてドイツ名物と言えばグリューワイン店でしょう!グリューワインとは赤ワインに香辛料を加え温めたもので、味もなかなかです。ただ、マグカップに一杯なみなみと注がれるので、私には量が多く全部飲み干すことは出来ませんでした。

『学校編−私の日記より− 20.Oktober.Sonntag』
本日は第3日曜日、日本人教会礼拝日である(普段は現地のプロテスタントドイツ教会に出席)。フランクフルト日本人教会週報に掲載されている田辺正隆先生の言葉が胸打たれた。
信仰とは、悲しい時に悲しまず、苦しい時に苦しいと感じないことではない。
人間的な、極めて人間的な弱さの中で主なる神を仰ぐことである。
主に全き信頼を置いて歩もう。
ああ、本当にその通りだと改めて信仰そのものを学ばせられた。私はドイツに来て、私なりに努力し、それなりの成果を徐々に出していくことが出来、またこの上ない素晴らしいホストファミリーに恵まれた。本当に毎日が楽しくて仕方がなかった。そして「耳が聴こえなくても、これだけやれる」という極めて傲慢な心が芽生えてきたのである。
しかし、人生は人と比べて生きるものではない。人より努力して、成果を出すことに満足するのではない(=相対的人生観)。神様と私との関係を見つめることが大事なのである(=絶対的人生観)。自分の人生をあるがままに受け入れ、他人と比べて優越感にひたるのでもなく、悲観するのでもなく、ただ神様の前に立った自分はどんな人間なのかを考えるのである。
どうか謙遜な姿勢で日々を過ごすことが出来るように。ここまで私をお守り下さる神様に感謝の心を忘れることがないように。そして何より切に祈ることは、私のホストファミリーの上に豊かな豊かな神様の恵みがありますように。

『28.Oktober.Montag』
今日からまた新しいクラスが始まった。コースは8週間コース。
私の新しいクラスは前回と同じ中級クラスである。私は迷った。前回お世話になったカーメン先生に「あなたは上級クラスへ進級するよりも、このクラスに留まった方が良い。上級クラスはとにかく会話が多いから」とアドバイスされたのである。正直かなり葛藤感はあったが、私はスローペースでドイツ語を学ぼうと決心した。
ゆっくりではあっても、確実に上達を目指して、努力しよう。基礎をしっかり身に付けて、きれいなドイツ語を話したい。

『30.Oktober.Mittwoch』
新しい女性教師、バーバラ先生より特別に課題を与えられる。プリントは全部で7枚。ドイツに来て2ヶ月、ほぼ毎日のようにドイツ語で文章を書いてきた。「継続は力なり」という言葉があるが、その通りだと思う。
バーバラ先生に「あなたの作文能力はとてもいい」と誉められたのだ。嬉しかった。さらに今日、辞書なしで書き上げた文章課題をアンドレアパパとシピレママに見せると「本当にドイツ語が上達したね」と大変喜んでくれた。
本当に本当にフランクフルトに来て良かった!
このホストファミリーは私の大恩人である。

『18.Dezember.Mittwoch』
バーバラ先生より、寄せ書きを手渡される。
「あなたの学ぶ姿勢には尊敬します。
あなたは健聴者よりもよく聞いていました。
聞こえる耳を持っています。
そして、あなたはとても立派にやり遂げました」
私は喜んで、この寄せ書きを家族に見せた。そして、このクラスに留まって良かったとつくづく感じた。地道にコツコツと学ぶ事が大切なのだ。「学問に王道なし」である。

日記の一部抜粋を終えます。

最近の生活の様子としては、ほとんど毎週クッキーやLebkuchen(固めのスポンジケーキ)、Vanillekipferl(バニラクッキー)等多くのお菓子を実に何時間もかけて、ホスト母と一緒に焼きました。また、家庭ではアドベンツろうそくを4本立て、夕食時にはクリスマス音楽を流します。祖父母Opa・Oma(オーパ・オーマ)宅へもホストファミリー全員で出掛け、クリスマスツリーとしてモミの木を切り倒し、自宅へ持ち帰りました。ドイツ家庭クリスマスを多く体験させて頂いています。

『最後に皆様へ』
2002年は本当にお世話になりました。特に私のフランクフルト留学にあたって、出発前から多くの方々より励ましのお便りを頂き、ありがとうございました。今年は高校時代から抱いていた留学の夢をロータリークラブにより実現させることが出来、夢のような年でありました。
2003年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
では、皆様も良いクリスマスとお正月をお迎え下さい。






フランクフルト便り No.2 2002年10月7日
堺西ロータリークラブ

2002〜2003年財団奨学生
林 万里子(スポンサークラブ:堺西RC)

皆様、お元気でお過ごしでしょうか。林万里子です。こちらは気温が最高13度、最低2度と日中と朝晩との気温差が大きいですが、秋晴れが続いております。
さて、近況報告です。今回は特に聾者にとっての外国語コミュニケーションを重点に絞って書きました。その為、ドイツとは全く関係ない話も多く盛り込まれております。私自身がどのように考えドイツ語に取り組んでいるのか、また聾そのものをご理解頂く為、あえてそのままにしておきました。

『日々の生活』
午前6時半に起床。家族全員がテーブルにつき、コーヒー・チーズ・ホスト母手製のジャムをパンと一緒にいただきます。朝食を終えると、外は気温2度前後ですから厚手のコートを着て、霧がかかった住宅街の町中を首をすくめながら歩きます。バスにはリュックサック(ランドセル)を背負った小学生達が元気良く乗り込み、Uバーン(地下鉄)にはハウプトヴァッヘに向かう勤め人でごった返しています。そして、午前8時半に学校到着。授業を終えて、学校を出るのは夕方。帰り道にハウプトヴァッヘの歩行者天国ツァイル通りを訪れ、フライドポテトをほおばります。揚げたての大きなほくほくとしたフライドポテトのお味はジャガイモ風味が生かされ、ウンダバー!(素晴らしい)。フランクフルトはドイツの商業・金融の中心地で、町の中心に立ち並ぶ高層ビルはほとんどが銀行の建物です。コメルツ銀行・ドイツ連邦銀行(ドイツの日銀)・ユーロを統括する欧州中央銀行(EURO BANK)などがひしめき合い、ハウプトヴァッヘ周辺を歩くとそれらの銀行のそばを通り過ぎます。

『コミュニケーション』
私が留学前、特に懸念していたのは「発音」についてでした。高校時代・大学時代にかけて、私はオーストラリア、アメリカへ2週間、1ヶ月間とホームステイさせて頂いた事があるのですが、そこでも発音の壁を感じました。私のような聾者は全てにおいてもっぱら視覚に頼ります。その為、圧倒的に聴覚から入る単語数が少量です。留学出発前、このことについて私の中学時代からの親友はこう言いました。
「耳の聞こえないマリが健聴者と張り合おうたって無理な話だよ。その代わり、マリは目が見えているじゃないか。私は高校時代アメリカへ1年間留学したけど、話してばかりで英作文を怠けていた。だから、英作文力は上達しなかった。マリは見えている分、『読み、書き』を第1に死に物狂いで頑張ってこい。そして、最後に『話す』を勉強してくるんだ。ドイツ留学は2度とないものと思って、この3つを努力するんだ」。
とにかく私なりにやるしかないと勇んでフランクフルトに来たものの、正直どこから手をつけて良いのか分からない状態でした。ホストとの会話は筆談に頼ることが多く、筆談する度に、「このままでは会話力が身につかない」と葛藤を感じたものでした。そこで、毎晩ドイツ語で日記を書き、それをホストのお父さんに添削してもらい、さらに音読してもらう方法を取りました。ホストのお父さんの音読に続いて、私も音読していきます。この方法は非常に役立ち、少しずつ少しずつではありますが、確実に私のドイツ語会話力は上達していっているように思えます。48歳の建設関係会社社長であるアンドレアパパ(私はそう呼んでいます)は、恰幅の良い体格をしており、優しい眼差しを私に向けながら「日記は書けたか?今晩もチェックするぞ」といつも言って下さいます。その他、読唇術だけでは音程の確認が出来ないので、9歳の心優しい、かわいらしい次女アントニア先生による発音練習で、彼女の喉を触らせてもらうことによって、発声音を確認しています。これも大変効果的で、濁音(声帯の振動を伴う)・清音(無声音)の区別がつきます。全くこのホストファミリーなくして、私のドイツ留学は成り立ちませんでした。ホスト母にも「発音は私たちと一緒に学びましょう。ドイツ聾学校へ通う必要はないから」とアドバイス頂き、改めてホストファミリーに感謝すると共に、私の為に協力して下さった大阪南部2640地区ロータリークラブ並びに私を受け入れて下さったフランクフルト1820地区ロータリークラブの皆様に、心より感謝いたします。
余談になりますが、私の大好きな映画の一つに「マイフェアレディ(1964年製作)」があります。貧しい身なりをした花売り娘イライザ(オードリーヘップバーン)が、言語学者ヒギンス教授によって話し方を学び、美しい貴婦人へと磨かれるといったストーリーです。この映画の冒頭で、ヒギンス教授がなかなか過激なことを言います。
「思い出せ 忘れたのか お前たちの英語は シェークスピア詩人ミルトン そして聖書の言語ではないか ああ何たることだ これがイギリス人とは 彼女は生きる資格も話す資格もない」
そうヒギンス教授はミュージカルで歌うのです。それを聞いたイライザは後にヒギンス教授の家を訪ね「私に話し方を教えとくれ。きれいに話せるようになったら街の花売り娘になれるのかい?」と尋ねます。「街の花売り娘どころか何にだってなれるとも」。ヒギンス教授はそれこそ必死でイライザに一から発声法を仕込みます。私はこの場面で何とも言えない気持ちになります。発音練習で疲れきったイライザに対して「僕も疲れている。けれど、頑張れ。君もしんどいだろうが、この経験は無駄ではない」と励ますヒギンス教授の言葉を時折、私も思い出すのです。

ところで、私が教育を受けた数年前とは教育事情が大きく変わり、現在手話復古運動が盛んです。私なりに分析すると手話使用を主張する理由として、以下のように考えられます。
<親の立場>
@手話を第一言語として、母語である日本語を覚えさせる。
外国語勉強をすると、国語力に通じるものがあるのと同じ原理。
<聾本人の立場>
@ 聾者としての人権を主張
口話主義による健聴者同化教育に反対。
健聴者も聾者に歩み寄るべきであるという理由。
A 会話を純粋に楽しみたい。
特に集団会話。

私は手話を否定しませんが、口話法を捨てるのはもったいないと思うのです。口話法を完全否定してはならないと強く思います。大事なのは完璧な発音を求めることではなく、丁寧に話そうとする姿勢です。私にとって人並みに話せるようになるまでには、普通の3倍もの時間と努力が必要でしょうが、何事も焦らず取り組んでまいります。
残り5ヶ月間、無事留学生活を終えられるようお祈り、お支え下さい。

それでは、皆様もご健康にご留意下さい。
(追伸)
私のノートパソコンが壊れ、以来メール交換は主に学校のコンピューター室を利用しております。メールのお返事が遅れますこと、ご了承下さいませ。






フランクフルト便り No.1 2002年9月13日
堺西ロータリークラブ

2002〜2003年財団奨学生
林 万里子(スポンサークラブ:堺西RC)

皆様、こんにちは。林万里子です。
2002年8月30日午前8時40分に伊丹空港を出発し、成田経由で同日現地時間午後6時無事フランクフルト到着いたしました。フランクフルト生活を始めて二週間近く経ちます。
到着時、飛行機の中で私はお祈りしました。
「これから半年間どうぞ私をお導き、そしてお守り下さい」
そして、その後入国手続きを済ませ、ドイツの地を踏んだのです。ホスト両親が出迎えて下さり、私たちは初対面を喜び合いました。ついにフランクフルト生活のスタートです!

現在の生活スケジュールをご紹介します。
平日は学校、週末はロータリークラブによるエクスカーションプログラムに参加・家庭パーティー等大いに遊んでおります。先週末はメルヘン街道の町Kasselにある5年に一度開催される国際美術展ドクメンタ11(Documenta11)に参加しました。

授業時間は以下の通り。
午前:午前9時から12時半
午後:午後1時半から3時(個人レッスン)

私の通う語学学校ゲーテインスティトゥート校は、外国人のためのドイツ語教育機関であるとともに、ドイツ政府の委託を受けた国際文化交流促進のための組織でもあります。
学校所在地はフランクフルトの中心でもあるハウプトヴァッヘ(Hauptwache)のすぐ近くにあり、自宅からバスとUバーン(地下鉄)を乗り継いで約30分かけての通学です。午後は学校側が私のために配慮して下さって、個人レッスンです。どこへいっても不思議に皆に守られ、配慮して下さり、感謝!!
授業クラスは中級クラス。クラスメートは私を含めて4人(全員女性)。日本人はいません。最初は皆ドイツ語で議論するのでついていけるのか不安になりましたが、どうにかこうにか何とかついていっています。本当に何とかなるものです。

さて、私の自宅について。Goetz(ゲーツ)ファミリーのご自宅にホームステイさ
せて頂き、18歳から9歳までのホスト兄弟が4人います。大変賑やかな家で、私に常に大声かつゆっくりと話し掛けて下さいます。また私の発音も矯正して下さいます。私にとってこのホストファミリーと出会えたことは大変ラッキーでした!
自宅場所は、ハウプトヴァッヘから北へUバーンに乗って20分のところにありま
す。住宅街ですが、自転車で東へ5分ほど乗るとりんご農園と砂糖ダイコン畑があります。果てしない農園が広がり、それは絶景です。農園からは北へはるか彼方タウナス山麓を望むことが出来ます。大体自転車で、約30分以上ホスト母と一緒に週三回、犬(タク)の散歩をしています。丘の上を走るのは少々体力が入りますが、透き通った青空に果てしない農園、そして小川のそばを走るのは大変気持ちのいいものです。こんな大都会にもかかわらず素晴らしい自然に囲まれるとは想像だにしませんでした。ちなみにこれらのりんごからリンゴ酒(Apfelwein)とりんごジュース(Apfelsaft)へと製造されます。
Apfelweinはフランクフルト名物であり、私自身も何度か飲みました。酸味がありますが、なかなかいけます。ドイツでは16歳からお酒が飲めるので、ホスト兄弟は17歳、18歳にしてワインやビールをぐいぐい飲んでいます。少々変な感じです。毎日私は自宅でりんごジュース(Apfelsaft)を飲み、昼食では学校でりんごを丸ごとかじっています。

私の留学生活は始まったばかりです。
今回の留学目的は3つ。
第一、 世界のどこへでも赴き、そして生活できる適応能力を高めること
第二、 言語習得
第三、 外国の友人と大勢知り合うこと

聾者である私が果たして半年間どこまでやれるのか。言語習得(特に発音)はどこまで身に付くのか。半年間でどのくらい成果を上げられるのか。それらは全く未知数であり、予想はつきません。
できるだけ定期的に「フランクフルト便り」を発行したいと思いますので、楽しみにお待ち下さい。

多摩川に出没したタマちゃんはどうなったのか気になっておりましたが、神奈川で再び出没したようですね。そろそろ保護しても良さそうなのですが。
それでは、皆様もお体ご自愛下さいませ。